事業仕分けのお話

一応、中の人だし、書いておこうかと思う。


大学で大学院生という身分で、国立大学に通っており、国から直接的ではないにしろ、お金を貰って研究している立場な以上、ある意味で死活問題。
今自分がやっている研究を国が必要と判断してくれるか、どういう意義があるのか、って言うのを再考する必要がある訳です。で、それを国に対して訴えて、アピールしていかないとその研究は死んでしまう可能性すらある。


私がやっている学問分野は有機合成ではありますが、興味は有機合成だけかと言えばそんな専門バカになることはそもそも望んでないし、他の化学の各分野はもちろん、それこそ自然科学全てに興味がある身としては、お金が原因でその研究が衰退してしまうことはあってはならないことだと思うし、それはものすごくさみしい。
2002年のノーベル物理学賞の小柴先生じゃないけど、「人類の知識にプラスアルファ」を与える研究って言うのは、実は応用的には全く面白くなくて、他の役に立たないって言う研究も結構あるのだけれども、そういう研究を止めていいのか、って言われるとそれはNoだ。


「自分の興味だけの分野を勝手に研究している人」を国が養うのはいかがなものか、って言う意見はもっともではあると思う。
ただ、逆にそういう人はある意味で人間の本質とは何か、って言う問題に切り込んでくれている数少ない人達。
私は、人は、ゴーギャンではないが、「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」って言う哲学的問いかけに答えようとする事が、人間を人間たらしめるためのアイデンティティーのひとつだと思っていて、それに対する答えの一つの形を示してくれているのが彼らだと思っている。
そういう研究を簡単に潰してしまうのはいかがなものかと思う。


確かに、科学技術立国ということを言い始めたのは現在の民主党政権ではないことは事実。
ただ、今後予想される人口減少社会の中で、それを防ぐための一つの方法って言うのは、若い世代を確実に国内につなぎ止めることであるのは事実で、理科離れが叫ばれて今、例えば分かりやすい形で行けば日本の研究者がノーベル賞と取ると言うことは理科で身を立てようと思っている中学・高校生には日本の大学に行って研究することのモチベーションになると思う。そのことで、日本から離れる若い世代と言うのは一定数は確実に減らせると思う。
高校までは日本にいるけど、大学以降海外に行きます、って言う人は必ずしも日本に住み続けないと思う。
高校生を持っている親だけが日本に残り、高齢化に拍車をかけるハメになると思う。


それ以上に、日本の大学と言うのは問題が多い。


まず、学生にしろ、スタッフにしろあまりに雑用が多過ぎる。
自分の専門分野で行けば、海外の大学はそれこそ大学の中にちょっとした工場みたいなのがあって、ガラス器具が壊れたのをそこに持っていくとすぐに直してくれると言う。
あとは、ガラス器具洗浄も洗い専門みたいな人がいて、洗って欲しい器具をカゴに入れておくと翌朝には乾いて自分の実験台に戻っているそうだ。
日本ではそれを全部学生だったりスタッフだったりがやらないとならない。
その時間他の研究に充てられないのにもかかわらず、世界最先端の研究をしているのはかなりの努力だと思う。
と、同時に欧米の研究者がそこまでやってもらっていて、世界最先端を走れないのは逆におかしいとすら思う。


あとはお金の問題。
日本の場合は特殊である意味で科学技術が進歩しない環境が出来ていて、それは軍隊を持っていないこと。
海外ではしばしば科学が軍事技術と密接に結びついており、軍関係の所からお金がゴサゴサ落ちてくる。
どうしてもそういう予算がつかないのは仕方ないけど、戦わないといけない。


あとは今回の「事業仕分け」に関して言えば、仕分け人に大いに問題があり過ぎる。
どう見て現場を見てない人間だろう……現場見て、どういう状態で世界最先端と戦っているのか、って言うのを見てもらいたい。
その上で世界最先端であることの価値について考えてもらいたい、というのがある程度考えてもらいたい。


確かに世界一である必要は必ずしもない。
ただ、ナンバーワンな研究をしていないと、オンリーワンな研究は生まれないこともある。
その意味では、世界一というのは大いに価値があることだと思っているし、現状世界一でいる部分はあるのだから、それをお金が原因で続けることが出来なくなってしまうことはとてもさみしいことだと思う。